世界大百科事典(旧版)内の色絵磁器の言及
【有田焼】より
…日本向けの古染付,祥瑞(しよんずい)などの明代末の中国磁器は,主として茶の湯の世界で用いられたが,有田諸窯では,それを写した日用雑器の焼造につとめていた。明代末の赤絵を学んで,有田皿山で色絵磁器が行われるようになるのは1640年代の初めころである。しかし色絵磁器の初期の製品は,国内市場よりも海外において高い声価を得ていた。…
【陶磁器】より
…当初は李朝風の素朴な染付磁器であったが,寛永末年から正保年間(1640年代)にかけて,明末の染付,赤絵の影響を受け,酒井田柿右衛門によって赤絵の焼造が始められると,有田の窯業は急速な成長をみた。有田における磁器焼造に着目した鍋島藩はすでに1628年(寛永5),有田岩谷川内に藩窯を設け,御用品の焼造を行っていたが,柿右衛門の赤絵磁器が始まると,その技法を用いて色鍋島と呼ばれる精巧な色絵磁器を焼かせるようになり(鍋島焼),有田磁器における伊万里,柿右衛門,鍋島の3様式の確立をみた。以後,江戸時代を通じて有田磁器は国内市場の大半を独占し,さらに大量の海外輸出によって発展を遂げ,日本窯業の中心的な位置を占めるにいたった。…
※「色絵磁器」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」