世界大百科事典(旧版)内の芝居取払の言及
【劇場】より
…11世長谷川勘兵衛ら大道具師の活躍が,劇場建築や舞台装置を写実的なものにしていく上に果たした功績も見のがせない。1841年(天保12)の堺町,葺屋町一帯の火災で,中村座・市村座や操座が焼失した機会に,おりから天保の改革を断行しつつあった幕府は,劇場を焼跡に再築することを認めず〈芝居取払〉を決めて,浅草猿若町へ市村座・中村座・河原崎座の歌舞伎劇場と,操り人形の薩摩座・結城座の移転を命じた。1842,43年にそれぞれが新築開場し,吉原の遊里や浅草寺,また奥山に隣接した猿若町に芝居町が形成され,幕末の30年間にわたって殷賑(いんしん)をきわめる。…
※「芝居取払」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」