世界大百科事典(旧版)内の芝浦製作所の言及
【機械工業】より
…白熱舎の後身である東京電気(現,東芝の前身)はアメリカのゼネラル・エレクトリック社(GE)に,1905年55%の株式を引き渡さざるをえない状態に立ち至った。さらに芝浦製作所(現,東芝の前身)も1909年にGEに資本の4分の1を,また1899年設立の日本電気はウェスタン・エレクトリック社と,1923年設立の富士電機製造(現,富士電機)はドイツのジーメンス社と,同じく三菱電機はアメリカのウェスティングハウス・エレクトリック社といずれも資本提携をして技術導入をせざるをえなかったのである。ただ1908年,日立鉱山の電気機械修理工場として設置され,後に1920年に独立した日立製作所のみは,大手企業のうち外国資本と結合をもたない唯一の企業であった。…
【重電機工業】より
…1900年代初頭から始まった日本の電力事業の本格化と第1次大戦期の日本経済の重化学工業化によって,重電機工業は飛躍的な発展を遂げた。たとえば,当時の代表的重電機メーカーの芝浦製作所(現,東芝)は,1910年に世界有数の重電機メーカーであるアメリカゼネラル・エレクトリック(GE)社と技術提携したこともあって,12年から20年の9年間に資本金は10倍,生産額は7倍に増加している。ところが第1次大戦終了とともに再び外国製品が日本市場に殺到したため,主力製品の水力発電機の約6割,火力発電機の約9割を外国製品が占めた。…
【東芝[株]】より
…1875年,天才発明家田中久重により田中製造所として個人創業されたのに始まる。電信機の製造を行ったが,93年三井銀行(1898年にはさらに三井鉱山)が継承し芝浦製作所と改称,1904年独立・改組して(株)芝浦製作所となった。09年ゼネラル・エレクトリック社(GE)と提携。…
※「芝浦製作所」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」