世界大百科事典(旧版)内の芸術左翼戦線の言及
【プロレタリア文学】より
…しかし,その観念的ロマン主義にあきたりないD.A.フールマノフ,F.V.グラトコフ,ベズイメンスキーAleksandr I.Bezymenskii(1898‐1973)らの作家,詩人が,22年にプロレタリア文学グループ〈十月Oktyabl’〉に結集し,それがVAPP(ワツプ)(全ロシア・プロレタリア作家協会)に発展するあたりから,ソ連共産党の文芸政策と密接なかかわりをもつようになる。ロシア・プロレタリア文学は,Yu.N.リベジンスキーの《一週間》(1922),フールマノフの《チャパーエフ》(1923),A.S.セラフィモービチの《鉄の流れ》(1924),A.A.ファジェーエフの《壊滅》(1927),ベズイメンスキーの詩作など,しだいに実作面での成果をあげていくが,全体としては〈同伴者文学〉や,LEF(レフ)(正称は芸術左翼戦線Levyi front iskusstva)を中心にしたアバンギャルド文芸運動の創作水準に立ちおくれていた。24‐25年には,L.D.トロツキー,A.K.ボロンスキーらをまきこんで,党の文芸政策が大きな論争の的になり,25年の党中央委員会決議では,創作分野での〈自由競争〉の原則が打ち出された。…
【ロシア文学】より
…(2)新経済政策(ネップ)の時代(1921‐28) 政治の側からの芸術への規制はゆるやかになり,さまざまな文学集団がしのぎをけずりあいつつ共存した。左翼にはプロレトクリト系の組織,すなわち鍛冶場派,〈十月〉グループなどや未来派系の〈芸術左翼戦線(LEF(レフ))〉,他方の極には学者,批評家のフォルマリスト・グループがあり,トロツキーによって〈同伴者〉と命名された,文学の自律性を主張する〈セラピオン兄弟〉グループなどの多彩な顔ぶれの作家群がいた(同伴者文学)。ソビエト文学の一貫した主題である国内戦,社会主義建設,社会主義的人間像の形成と新旧世代の相克というテーマはいち早くとりあげられた。…
※「芸術左翼戦線」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」