世界大百科事典(旧版)内の若松派の言及
【説経節】より
…なお,江戸では寛政(1789‐1801)ころ,祭文(さいもん)と説経節とを結びつけた説経祭文がおこり,享和(1801‐04)ころには,この系統から薩摩若太夫が出て説経芝居を再興したが,すぐに衰え,その遺流がわずかに伝えられて,明治期に入って若松若太夫が出た。前者の流れを薩摩派といい,後者の流れを若松派という。なお,幕末に名古屋の岡本美根太夫が新内節に説経祭文を加えて新曲をおこしたが,これは説経源氏節,または単に源氏節と称される。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」