世界大百科事典(旧版)内の英清天津条約の言及
【天津条約】より
…また,1870年(同治9)以降には北洋大臣李鴻章が天津にあって交渉の任についたため,多くの天津条約が調印された(表参照)。内容は多様であるが,なかでも58年(咸豊8)6月26日,イギリス・フランス連合軍の威嚇の下に,清国欽差大臣桂良,花沙納とイギリス全権J.B.エルギン(1811‐63)との間に結ばれた〈英清天津条約〉全56条は,以降の不平等条約の原型となった。その要点は,(1)外国公使の北京常駐あるいは随時入京を定め,公使は朝貢国の使節ではないとし,三跪九叩礼(叩頭(こうとう))をはっきり否定した。…
※「英清天津条約」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」