苻洪(読み)ふこう

世界大百科事典(旧版)内の苻洪の言及

【秦】より

(てい)族苻氏(もと蒲氏)の建てた政権。略陽郡臨渭県(甘粛省秦安県)の長苻洪が永嘉の乱を契機にこの地方の氐族や漢族に推されて盟主となったことから,政権の基礎が生まれた。初め後趙の傘下にあったが,苻洪の子苻健が自立して長安に即位した。…

【苻健】より

…在位351‐355年。父の苻洪は略陽(甘粛省秦安県)の氐(てい)族の長で,後趙の内乱に乗じて枹罕(ふかん)(甘粛省臨夏県)に自立したが,部将麻秋に殺された。苻洪の第3子である苻健は麻秋を滅ぼし,長安に進撃して天王を称し,ついで351年(皇始1)帝位についた。…

※「苻洪」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む