世界大百科事典(旧版)内の茶屋又四郎の言及
【将軍糸】より
…外国商人からエンペラーズ・シルクEmperor’s silkと呼ばれた。徳川家康は初期政権の財政上の補てんのこともあって,外国貿易にはきわめて熱心で,1603年(慶長8)に幕府を開くと,長崎代官に側近の小笠原一庵,ついで長谷川藤広を派遣し,その配下に糸巻物以下売買の代官として弟の長谷川忠兵衛,それに茶屋又四郎(3代目四郎次郎)を長崎に下し,白糸やその他の軍需品の購入に当たらせている。将軍の購入白糸は相当量の数量を年々原価で仕入れ京都などの市場に放出するなど,生糸価格を操作する役割もし,また巨利を占め,外国商人から動きが注目されていた。…
【茶屋四郎次郎】より
…徳川家康の側近御用達。京都の豪商。先祖は山城国とも三河国出身ともいわれ,つまびらかでない。姓は中島を称し,初代は清延,法名を情延といった。茶屋は三河の大名徳川氏の御用達として家康の側近に仕え,上方筋の情報を家康に提供し,軍需品の調達や,京都における家康の旅宿をつとめた。家康の戦争にはつねに出陣して側近で活躍し,ときには間者(かんじや)や講和の内使などをつとめた。1588年(天正16)ごろ家康の江州代官として年貢の徴収にあたったが,のち辞退し,家康の呉服御用達として仕え,その子孫は代々呉服師を継承した。…
※「茶屋又四郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」