世界大百科事典(旧版)内の葛賢の言及
【織傭の変】より
…蘇州と杭州を担当したのは織造太監孫隆であるが,孫一味による収奪に反対して,6月3日,2000余人の労働者は行動をおこし,規律正しい組織的な闘争をくりひろげ,孫隆の追放に成功するとともに,重税で倒産にひんしていた機戸のために減税をかちとって,都市手工業労働者の力量を示した。事件後,首謀者として自首,のちに釈放された葛成は葛賢として尊敬され,彼の墳墓は今も蘇州に存在する。織工を主力としたこの闘争は,ひろく民衆の参加があり,また知識人層からも支持され,この時期に頻発した民変の典型的な事例とされる。…
※「葛賢」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」