世界大百科事典(旧版)内の蒙疆連合委員会の言及
【日中戦争】より
…中国の回答が遅れると近衛内閣は交渉を打ち切り,〈爾後国民政府を対手とせず〉と声明した。占領地には日本軍の指導で蒙疆連合委員会(1937年11月22日蒙古連盟,察南,晋北の自治政府が連合して成立),華北の中華民国臨時政府(1937年12月14日王克敏を行政委員長として成立),華中に中華民国維新政府(1938年3月28日梁鴻志(りようこうし)を行政院長として南京に成立)がつくられたが,旧軍閥時代の政治家を中心とする傀儡政権にすぎなかった。中国はまもなく活発な抗戦に出て,1938年4月には山東省南部の台児荘で日本軍を後退させて大勝利を宣伝した。…
※「蒙疆連合委員会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」