蔡鞗(読み)さいちょう

世界大百科事典(旧版)内の蔡鞗の言及

【蔡京】より

…以後4回(1102‐06,1107‐09,1112‐20,1124‐26)通計16年近く宰相の地位を保ち,ことに16年(政和6)4月から20年(宣和2)6月までは宰相の上に位して,総治三省事を命ぜられ,自ら公相(こうしよう)と号した。その間に深くその勢力を扶植し,子の蔡鞗(さいちよう)が徽宗の女を妻とするに至り,権勢ならびなきありさまであった。彼は旧法党の勢力挽回を恐れ,司馬光以下の人々を元祐党籍(げんゆうとうせき)に入れ,その子孫が栄進の機会をえるのを防ぎ,名実ともに新法党の首領としての貫禄を示した。…

※「蔡鞗」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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