蔣友仁(読み)しょうゆうじん

世界大百科事典(旧版)内の蔣友仁の言及

【中国天文学】より

…しかしイエズス会士は専門の天文学者でもなく,また乾隆帝以降のキリスト教弾圧でイエズス会士の渡来も極度に制限され,やがてヨーロッパ天文学の輸入もとだえるようになった。18世紀の半ばにM.ブノア(蔣友仁)が《坤輿全図》の中でコペルニクスの地動説を記述したことはあったが,ヨーロッパ天文学との格差はしだいに大きくなった。新しい天文学は1928年に中央研究院が設立され,その一部局としての紫金山天文台が活躍するようになってからである。…

※「蔣友仁」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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