世界大百科事典(旧版)内の薗田芳雄の言及
【千網谷戸遺跡】より
…遺跡は山田川が渡良瀬川に合流する付近の2段目の河岸段丘の,東西約350m,南北100mの範囲にあるが,開発の進により次第に旧状をとどめないようになっている。遺跡の存在は戦前から知られていたが,薗田芳雄により1946年以来二十数度にわたり発掘調査され,とくに北関東における縄文晩期最終末の土器型式である千網式が設定されたことから有名になった。千網式土器は,東北地方の晩期最終末にあたる大洞A,A′式と関連が深く,浮線網状文の手法による鉢や壺の精製品と,条痕文や撚糸文の手法による粗製深鉢に代表される。…
※「薗田芳雄」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」