世界大百科事典(旧版)内の薩摩口の言及
【異域・異国】より
…中国は,日本と文禄・慶長年間(1592‐1615)に敵国として戦争して以後,ついに日本側が望む外交関係は復旧できず,清の政策変化はあったけれども,唐人貿易は基本的に海禁無視の私貿易であった。 薩摩口は琉球国と交際する口であったが,琉球は国家公権を持つ独立国でありながら,近世国家の異域の位置にあった。明・清国への朝貢国であったが,石高制の貫徹,薩摩藩士の常駐,キリシタン禁制,薩摩藩への貢納義務などは,幕府と大名島津氏の支配を示す側面であった。…
※「薩摩口」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」