朝日日本歴史人物事典 「藤原兼光」の解説
藤原兼光
生年:久安1(1145)
平安末・鎌倉初期の公卿。日野流藤原氏,資長と源季兼の娘の子。実務にたけ,摂関家家司,後白河院司,高倉および後鳥羽の2代の天皇の侍読を務め,弁官,蔵人頭を歴任,参議を経て従二位権中納言にのぼる。摂関家に対しては当初近衛家に近侍し,治承3(1179)年近衛基通関白就任に際し氏院別当に任じられるが,九条兼実が政界で実権を握るとともに九条家にも伺候,その才を高く評価され,建久2~5(1191~94)年には検非違使別当を務める。一方で後白河法皇の寵妃丹後局の婿として順調に昇進を果たし,源頼朝が申し入れた議奏公卿にも名を列ねるなど,当時の複雑な政界をみごとに泳ぎきり,日野家の地歩を固めた。
(奥田環)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報