藤原理兼(読み)ふじわらのまさかね

世界大百科事典(旧版)内の藤原理兼の言及

【鹿田荘】より

…旭川河口付近の肥沃な沖積平野を占め,早くから荘園化していたらしく,817年(弘仁8)藤原冬嗣は興福寺南円堂法華会料72石余に当荘地子をあて,900年(昌泰3)には長講会料に当荘地子米50石をあて,また藤原氏の氏神大原野神社の二季祭饗にも986年(寛和2)以前から当荘の年貢米があてられていた。986年備前守藤原理兼は当荘下司下野守貞と争い,数百の兵を集めて荘内に乱入し下司らの居宅ほか300余軒を破却放火して家財を奪った。下司の訴えによって理兼は解官放氏されるという事件が起こっている。…

※「藤原理兼」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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