藤沢上人(読み)ふじさわしょうにん

世界大百科事典(旧版)内の藤沢上人の言及

【時宗】より

…時宗では,歴代の遊行上人は生ける仏として崇敬され,一所に止住することなく遊行を続けたが,晩年には清浄光寺に住んだ。寺に住むようになった上人は藤沢上人と呼ばれ,藤沢上人が没すると遊行中の遊行上人はその地位を後継者に譲って,清浄光寺に入り,藤沢上人をつぐのが例となっていた。遊行は諸国にあるさまざまな道場を巡回して,念仏の信仰を伝えるものであったが,京都の金光寺,金蓮寺,歓喜光寺をはじめ,室町時代の中ごろには全国に2000の道場があった。…

【清浄光寺】より

…これが清浄光寺のおこりであり,当初は清浄光院あるいは藤沢道場と称した。これ以後,遊行上人は引退すると清浄光寺に住むことが慣例となり,これを藤沢上人と呼んだ。伽藍は第6世一鎮のころから整備され,第8世渡船の56年(正平11∥延文1)にいたって完成した。…

【遊行】より

…一遍没後は他阿真教が遊行上人となり,道場経営にも力を入れた。また,遊行上人が老病などのため遊行困難となると道場に隠居し(独住という),藤沢上人と号した。神奈川県藤沢市の清浄光寺(遊行寺と俗称)に独住したからである。…

【遊行上人】より

…時宗の指導者は遊行上人と呼ばれ,生ける仏として崇敬され,多くの信徒を率いて回国巡行を続けたが,晩年に遊行を続けることが困難になると,清浄光寺に引退した。寺に住むようになった上人は,藤沢上人と呼ばれたが,鎌倉時代末以降,藤沢上人が没すると,回国中の遊行上人はその地位を後継者に譲って清浄光寺に入り,藤沢上人をつぐのが時宗の慣例となった。遊行は,諸国の大小の道場を一つ一つ巡歴するものであったが,室町時代中期には全国の道場は2000に及んだ。…

※「藤沢上人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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