藤間勘斎(読み)ふじまかんさい

世界大百科事典(旧版)内の藤間勘斎の言及

【尾上松緑】より

…舞踊にも秀で,37年4月,父から藤間流の家元を継ぎ,藤間勘右衛門を名のる。75年藤間勘斎となり,家元を長男の藤間亨(尾上辰之助)に譲った。【落合 清彦】。…

【藤間流】より

…日本舞踊の流派。藤間流には勘十郎家と勘右衛門家の2派があり,流祖はともに藤間勘兵衛である。(1)勘十郎家 3世勘兵衛(一時,勘十郎と改名。名義初世勘十郎)の養子2世藤間勘十郎が始祖とされ,3世から6世まで女系によって名跡が伝えられた。1927年6世尾上梅幸の門弟梅雄が養子に入り,勘十郎を襲名,歌舞伎の名振付師として活躍した。家系としては,3世勘兵衛を代数に数えないため,6世を名のった。83年6世の長女康詞(みちのり)が7世宗家を相続した。…

※「藤間勘斎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」