世界大百科事典(旧版)内の蘇我鞍作の言及
【蘇我石川麻呂】より
…飛鳥時代の廷臣。蘇我(倉山田)石川までが姓,麻呂が名。馬子の孫,倉麻呂(雄当)の子。蘇我本宗家の鞍作(入鹿)への反感から,中臣鎌子の誘いによって本宗家討滅計画に参加し,鞍作を暗殺する当日は三韓の上表文を読む役に当たったという。本宗家滅亡後の孝徳天皇の新政権では,右大臣となった。しかし,新政権の下では,左大臣阿倍内麻呂やその支持勢力と対立した。吉野に隠退した大兄(おおえ)古人皇子やその一党の討滅の際や,東国国司らの成績再審査事件の際の行動に,それが示されている。…
※「蘇我鞍作」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」