虜瘡(読み)りょそう

世界大百科事典(旧版)内の虜瘡の言及

【天然痘】より

種痘【南谷 幹夫】
【疾病史】
 天然痘すなわち痘瘡の発源地については諸説あるが,いちばん有力なのはインドとされており,それが古代民族の移動交流にともなって世界各地に伝播していった。中国には前1200‐前1100年ころに流入したともいわれるが,中国の医書《肘後方(ちゆうごほう)》によると,南斉の建武年間(5世紀末)に〈虜瘡(りよそう)〉と呼ばれる疫病が流行したとあり,これが痘瘡と特定できる最初の記録といわれる。おそらく,インドから仏教が伝播していった経路とほぼ同じ道,つまりシルクロードをたどって中国に入ってきたと思われる。…

※「虜瘡」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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