世界大百科事典(旧版)内の蜂子皇子の言及
【羽黒派】より
…山形県の羽黒山を本山とする。崇峻天皇の子の蜂子(はちす)皇子を開祖と称し,苦行性と古態を残すことで知られる。平安末期から組織化が進み,最も栄えた鎌倉時代には七寺七院住坊四千と号し,守護・地頭不入の権を誇った。…
【出羽神社】より
…《延喜式》では小社。修験道羽黒派の本山で崇峻天皇の子の蜂子皇子を開祖とし,境内には蜂子皇子の墓もある。月山(がつさん)神社,湯殿山神社を合わせた〈三神合祭殿〉があり,出羽神社すなわち出羽三山神社で,社前の鏡池からは信仰によって捧げられた多数の古鏡が発見されている。…
※「蜂子皇子」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」