蜂須賀蓬庵(読み)はちすかほうあん

世界大百科事典(旧版)内の蜂須賀蓬庵の言及

【伊賀越の敵討】より

…池田家は幕府に訴えて裁断を求めたが,やがて忠雄は又五郎の処置を遺言して死に,32年岡山池田家は鳥取に国替になった。幕府の命により忠雄の舅元徳島藩主蜂須賀蓬庵(家政)は半左衛門を預かったが,ひそかにこれを殺し,旗本側も又五郎を逃がして,又五郎は奈良の伯父河合勘左衛門方にひそんだ。34年11月7日伯父らとともに総勢約20人で奈良から伊賀を経て江戸に向かう又五郎を,数馬は姉婿荒木又右衛門および若党2名と上野西端の鍵屋の辻に待ち伏せ,ついに又五郎を討ち取った。…

【蜂須賀家政】より

…近世初期の大名。正勝の子。蓬庵と号する。1575年(天正3)から羽柴(豊臣)秀吉に属し,82年毛利征伐のとき黄母衣衆となり,83年賤ヶ岳の戦,84年根来・雑賀一揆に出陣して播磨佐用郡で3000石を与えられ,85年四国征伐の功で阿波で17万6000石を領して徳島城主となる。86年従五位下阿波守に叙任。文禄・慶長の役に出陣した。関ヶ原の戦には西軍に属して大坂久太郎町橋を警固したが,病気と称して代理を出して自身は出陣せず,嫡子至鎮が東軍に属したので戦後も無事であった。…

※「蜂須賀蓬庵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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