世界大百科事典(旧版)内の蜘舞の言及
【軽業】より
…その源流は奈良時代に大陸から伝来した散楽(さんがく)の中に求めることができる。〈綱渡り〉〈竿登り〉〈とんぼ返り〉などがあったが,それを集成したのが室町時代から江戸中期にかけて盛んに興行された〈蜘舞(くもまい)〉であった。蜘舞の呼称は,蜘が巣をかけて心やすく軒から軒を行くごとき軽き業をなす所業から起こったといわれる。…
【綱渡り】より
…その姿は《信西古楽図》に見える。中世から近世にかけては〈蜘舞(くもまい)〉とも呼ばれ,歌舞伎のケレンの技術として発展している。宝永・正徳(1704‐16)ころには軽業の主流であった。…
【見世物】より
…寺社の境内や盛場で,臨時に小屋掛けして,芸能および種々珍奇なものを見せて入場料をとる興行物のこと。
【日本における見世物の歴史】
見世物は勧進を名目にした絵解き,説経などの大道芸にはじまり,小屋掛けの興行は,放下(ほうか)や蜘舞(くもまい)(軽業(かるわざ))など室町時代にはじまるといってよいが,盛行をきわめたのは江戸時代に入ってからである。京都では四条河原,大坂では道頓堀や難波新地,名古屋では大須,江戸では両国,上野広小路,浅草奥山などで盛んに興行され,明治時代になってからは浅草公園六区や招魂社(現,靖国神社)境内などが興行地として名高かった。…
※「蜘舞」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」