世界大百科事典(旧版)内の血曼荼羅の言及
【金剛峯寺】より
…994年(正暦5)の大火によって高野山は一時衰退するが,平安時代後期には復興して多くの子院が建立され目ざましく発展する。丈六阿弥陀如来像(地蔵院),阿弥陀如来像(金剛峯寺)など造仏は盛んで,絵画では日本最古の仏涅槃図(八幡講,1086)をはじめ,善女竜王図(金剛峯寺,1145),両界曼荼羅(別名血曼荼羅。八幡講,1156),伝船中湧現観音(竜光院),阿弥陀聖衆来迎図(八幡講),勤操僧正像(普門院)などは日本美術史上の代表的な作品として名高い。…
【両界曼荼羅】より
…寺伝では宮中真言院の御修法(みしほ)用の曼荼羅としているが確証はない。また醍醐寺五重塔(951)初層内の両界曼荼羅壁画,《子島曼荼羅》(紺綾金銀泥絵,子島寺),《血曼荼羅》(絹本著色,金剛峯寺,1150)など,現図曼荼羅の遺品は多い。このほか台密用の金剛界八十一尊曼荼羅があり,円仁請来本から描いたと見なされる根津美術館本(13世紀前半)や兵庫太山寺本などが知られる。…
※「血曼荼羅」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」