血液循環説(読み)けつえきじゅんかんせ

世界大百科事典(旧版)内の血液循環説の言及

【ハーベー】より

…とくにパリ大学学長で解剖学者のJ.リオランは反対の先鋒に立った。しかし,R.デカルト,T.ブラウン,グリソンFrancis Glisson,F.シルビウスらの賛成を得て,ハーベーの血液循環説は,ガレノスの説を完全に覆し,近代生理学の基盤となった。彼は1618年にジェームズ1世の侍医,29年にチャールズ1世の侍医になった。…

【ガレノス】より

…古代においてヒッポクラテスに次ぐ最も著名な医学者。古代の医学を集大成し,以後17世紀に至るまで西欧における医学の権威として崇められ,アラビア医学にも絶大な影響を与えた。小アジアの文化都市ペルガモンに生まれ,幼少から十分な教育を受け,ことにさまざまな学派の哲学を熱心に学んだ。16歳より医学を学びはじめ,20歳より各地を旅し,アレクサンドリアでの5年間の研究を経て医学の修業を完成した。故郷に戻り剣闘士(グラディアトル)の医師を務めた(157‐161)後,ローマへと赴き,皇帝マルクス・アウレリウスの信任をも得て,医師として目覚ましい活躍を遂げた。…

※「血液循環説」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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