世界大百科事典(旧版)内の西スーダンの言及
【スーダン[地方]】より
…中世のイスラム教徒がビラード・アッスーダーンbilād al‐sūdān(黒人の国々)と呼んだのが,この名の起りである。地中海沿岸とスーダンとを結ぶ通商路は先史時代から開かれていたが,それがスーダンの住民のイスラム化をもたらしたのは,スーダン西部地域が最も早く,ムラービト朝は1076∥77年にガーナ王国を滅ぼして,西スーダンのイスラム化の端緒を開いた。その後この地域にはマリ帝国,ソンガイ帝国など黒人の王国が続いたが,その支配階級は国王以下すべてイスラム教徒で,国家制度もイスラムのそれを取り入れ,都市ではシャリーア(イスラム法)が施行され,カーディー(裁判官)が置かれていた。…
※「西スーダン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」