世界大百科事典(旧版)内の《西の国の伊達男》の言及
【アイルランド演劇】より
…ケルト民族特有の幻視的ロマンティシズムにみちた作品や,西部地方の方言を会話に生かした写実的でしかも詩情豊かな作品など,さまざまな作風の作品が簡素で象徴的な演出によって上演され,アベー座は20世紀初頭の世界演劇における重要な一拠点と目されるにいたった。しかし,ほら吹きの流れ者が一小村にまき起こす喜劇を描いたシングの傑作《西の国の伊達男》(1907初演)の上演が,反道徳的・反民族的という理由で妨害されるなど,イェーツたちの運動は必ずしも広範な支持を得ていたわけではなかった。ほかにアベー座に縁の深い劇作家として,《狙撃者の影》(1923初演)や《ジューノーとクジャク》(1924初演)などでダブリンの市民たちを舞台にのせて成功したS.オケーシー,《きらめく門》(1909初演)のダンセーニ,マーティンEdward Martyn,パドリック・コラム,ロビンソンLennox Robinsonなどがいる。…
【シング】より
…アイルランド演劇復活運動の中心人物の一人となる。作品には,アラン諸島で聞いた民話をもとに農民を描いた《谷の陰The Shadow of the Glen》(1903),漁師の夫や息子を海に奪われた女たちの嘆きを扱った詩的な悲劇《海へ騎(の)り行く人々Riders to the Sea》(1904),喜劇《聖者の泉》(1905)や《鋳掛屋の婚礼》(1909)があるが,最も有名なものは《西の国の伊達男The Playboy of the Western World》(1907)である。これは,田舎の村へやって来た青年が父を殺したといううそをついたために度胸のある男として人気者になるという喜劇で,初演のときには,アイルランドの庶民を愚弄していると誤解されて騒ぎが起こった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」