世界大百科事典(旧版)内の観光丸の言及
【海軍】より
…ペリー艦隊の浦賀来航直後の1853年(嘉永6),幕府は鎖国以来の大船建造の禁を解き,水戸藩に石川島造船所開設を命じるとともに,海軍の編成に乗り出した。またオランダをはじめ欧米諸国から軍艦の買付けに努め,55年(安政2)日本最初の洋式軍艦観光丸をオランダから入手し,以後約15年間に45隻の洋式艦船を保有した。さらに幕府は海軍創設のため,55年長崎に海軍伝習所を開設し,57年には江戸に軍艦教授所(のちに軍艦操練所)を,63年(文久3)には兵庫に海軍操練所を設立し,幕臣や各藩藩士を集めて訓練した。…
【軍艦】より
…江戸末期に至って外国船の来航に刺激されてこの禁をといた。洋式軍艦としては1855年(安政2)オランダより寄贈を受けた鋼製蒸気船の観光丸が最初である。日清・日露戦争当時の主力軍艦はいずれも外国建造であったが,その後国内建艦技術は長足の進歩を遂げ,次々に巡洋艦,駆逐艦を国産,1914‐15年にはイギリスで建造した巡洋戦艦金剛(2万7500トン,36cm砲8基)の同型艦3隻の国内建造に成功した。…
※「観光丸」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」