世界大百科事典(旧版)内の解放奴隷の言及
【フリータウン】より
…シエラレオネ大学を中心に学術・文化の施設もあり,船舶修理,石油精製,醸造,タバコ,製靴などの工業も発達している。1562年にイギリスの奴隷商人ジョン・ホーキンズがこの地に上陸したことがあるが,町の基礎は1787年にイギリスの奴隷廃止論者が解放奴隷を入植させたことに始まる。92年には奴隷廃止論者が創立したシエラレオネ会社がノバ・スコシア(現,カナダ東南部)から解放奴隷を入植させ,この町をフリータウンと命名した。…
【モンロビア】より
…国内農林生産物の集散地で各種軽工業も発達し,1862年開校のリベリア大学その他の教育・文化施設もある。1822年にアメリカ植民協会によって,合衆国や西インド諸島からの解放奴隷の入植地の基地として建設され,当時のアメリカ大統領J.モンローの名にちなんでこの名がつけられた。47年に独立したリベリア共和国の首都となった。…
【ローマ】より
…カリグラは狂的に独裁的傾向を強め,プリンキパトゥスが潜在的帝政にほかならないことを露呈した。クラウディウスは自己の解放奴隷を用いて直属の文官による官僚制の整備に努め,他方ローマ市民権を属州民に多く与え,帝国のローマ化を進めた。この間に,カッパドキア(17),マウレタニア(42),ブリタニア(43),リュキア(43),トラキア(46)が属州として加えられた。…
※「解放奴隷」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」