世界大百科事典(旧版)内の言文一致唱歌の言及
【音楽教育】より
…普通教育は,90年発布の教育勅語によって根本方針がすえられ,天長節,紀元節など国家の祝祭日の儀式でうたう歌の指導が重視され,日清戦争以来,軍歌がしばしば学校に持ち込まれた。20世紀に入り唱歌教育への批判が強まり,教師自身によって,《桃太郎》《金太郎》など伝承童話を素材に言文一致唱歌が作成され,さらに1918年創刊の《赤い鳥》などを舞台に北原白秋らによって童謡運動がおこされた。これらは学校の音楽教育を子どもの興味,関心に近づけるものであった。…
【唱歌】より
…ということは,遊びをはじめ子どもたちの日常生活をうたう歌はつくられなかったということであり,また遊びとともにうたわれつづけてきたわらべうたも,卑俗であるとして学校の唱歌教材からは排除された。 このような音楽取調掛作成の歌詞が子どもにはあまり難解であるとの批判から,20世紀に入り,言文一致唱歌を作成する運動が,田村虎蔵,納所弁次郎,石原和三郎らによってすすめられた。言文一致は,文学ではすでに1880年代後半から提唱されていたが,教育の世界では立ち遅れていたのである。…
※「言文一致唱歌」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」