設楽原(読み)したらがばら

世界大百科事典(旧版)内の設楽原の言及

【新城[市]】より

…農業は兼業化が著しいが,果樹園芸,畜産が盛んで,木材の集散・加工を中心とした林業も行われる。長篠の戦で,織田・徳川連合軍が,武田軍に大勝した設楽原(したらがばら)の古戦場や桜の名所桜淵公園がある。【溝口 常俊】。…

【長篠の戦】より

…1575年(天正3)5月21日に織田信長,徳川家康の連合軍が武田勝頼の軍を三河の設楽原(したらがはら)(現,愛知県新城市)で破った合戦。武田信玄の没後,家康が長篠城を取り返したので,勝頼は前年に遠江高天神(たかてんじん)城を陥れた勢いに乗り,75年4月21日約1万(兵員数には諸説がある)の軍勢で長篠城を囲んだ。…

※「設楽原」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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