譚廷襄(読み)たんていじょう

世界大百科事典(旧版)内の譚廷襄の言及

【第2次アヘン戦争】より

…また,広東では61年まで,傀儡(かいらい)政権を介した占領行政が敷かれた)。連合軍は北上し,4月末から大沽(タークー)で交渉が行われたが,直隷総督譚廷襄が〈全権〉を持つか否かをめぐって決裂し,連合軍は天津にまで進み,6月にイギリス,フランス,アメリカ,ロシア4ヵ国は武力を背景として欽差大臣桂良,ファシャナ(花沙納)と交渉を行い,天津条約が結ばれた。また前月にロシアは璦琿(あいぐん)条約を結び,アムール川(黒竜江)北岸をロシア領とし,ウスリー川(烏蘇里江)右岸は両国の共同管理とした。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」