《讃岐国万農池後碑文》(読み)さぬきのくにまんのうのいけじりひぶん

世界大百科事典(旧版)内の《讃岐国万農池後碑文》の言及

【満濃池】より

…【坂口 良昭】
[歴史]
 古くは満農池,万農池,万能池などとも記し,十千池(とちのいけ)ともいう。《讃岐国万農池後碑文(さぬきのくにまんのうのいけじりひぶん)》(1020)によると,8世紀初めに讃岐守であった道守朝臣(みちもりのあそん)某によって築造されたとあるが,詳細は不明。818年(弘仁9)に堤が大破したため,821年に当国出身の空海を在地の郡司層らの要請をいれて派遣し,農民を動員して修築させた。…

※「《讃岐国万農池後碑文》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

選挙公職を争うとき,政党や候補者が,当選後実現すべき政策について有権者に向けて表明する約束。当選者が選挙公約に拘束され,実現の努力を行うことは責任政治の重要な構成要素である。...

公約の用語解説を読む