世界大百科事典(旧版)内の讃窯の言及
【仁阿弥道八】より
…当時流行の中華趣味に走らず,純日本風な作風を求めて一家をなした。またその作風は各地の御庭焼や御用窯(藩窯)に影響を与え,自身でも近江石山寺御庭焼,西本願寺の露山焼,和泉願泉寺御庭焼,嵯峨角倉家の一方堂焼,讃岐松平家の讃(さん)窯,紀州偕楽園御庭焼にも参画している。晩年の42年(天保13)には桃山窯を興し,温和な作風,琳派風な意匠によって広く万人に好まれた。…
※「讃窯」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」