世界大百科事典(旧版)内の谷川流の言及
【いけばな】より
…《蔭涼軒日録》に見るように,立阿弥や台阿弥といった人々,また《碧山日録》に記される連歌師としても著名な池坊専慶,《言国卿(ときくにきよう)記》における山科家の雑掌,大沢久守などは,依頼を受けて花を立てた専門家の代表であるとみてよい。室町期の立花の様相を伝える《仙伝抄》に谷川流と記載のあるのは,公家邸において花を立てた谷川入道某の伝であろうし,これらの人々の活躍によって草創期のいけばなは,立花という法式を備えたいけばなを出現させる。このような立花成立への試行期には,立花よりもより自由な景観描写的ないけばなも存在していたようで,現在最も古い花書ではないかと考えられる《花王以来の花伝書》には,〈岸くづれの花〉や室外の縁に置いたいけばなが見られ,前栽との関連が注目される。…
【仙伝抄】より
…このおよそ90年の間に,だれかが多くの秘伝の条文をまとめたのではないかとみられる。内容は大きく三つに分けられ,〈本文〉と〈谷川流〉,そして〈奥輝(おくてる)之別紙〉となっている。〈本文〉には,池坊系の秘伝書のなかの同じ条文の記述が多く,谷川流は山科言国(やましなときくに)の雑掌であった大沢久守とつながりのあった谷川入道の流派ではないかといわれるが,はっきりしない。…
※「谷川流」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」