世界大百科事典(旧版)内の豊後系浄瑠璃の言及
【豊後節】より
…その一部は5世都一中の時代に江戸の一中節に移され,現存している。江戸では前記常磐津,富本,さらに富本から分派した清元を豊後三流といい,前記富士松薩摩の門から分派した鶴賀若狭掾,さらにそれらをまとめた新内節,のちに江戸に移された宮薗節を総称して豊後系浄瑠璃という。豊後系浄瑠璃の統領的な位置にあったのは,江戸では常磐津節,上方では宮薗節らしく,また江戸における鳥羽屋里長一派は,上方の春富士一派によく似ており,常磐津,富本,一中節などを弾いている。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」