世界大百科事典(旧版)内の貫文制の言及
【荘園】より
…武家領でもすでに得宗(とくそう)領,北条氏所領は給主に与えられ,給主代が現地の政所で実務を行う体制がみられたが,それは足利氏所領から室町幕府,鎌倉公方の御料所にうけつがれ,御料所はその奉公衆に預け置かれたのである。 13世紀後半以降,流通経済の一層の発展とともに,年貢物を現地の市で銭にかえ,公事・夫役を銭に換算する代銭納がひろがり,年貢・公事・夫役の区別なく一括して荘園支配者に送進し,また代官が一定額の銭で荘を請け負うこともさかんに行われ,室町期には荘園・公領の単位を〈土貢何貫文の地〉のように貫文でとらえる貫文制の萌芽もみられた。こうした状況の中で,鎌倉後期にも山僧・借上を代官として年貢銭を前納させること(来納)が行われたが,南北朝期にかけて,土倉,商人,山伏,富裕な武士や僧侶などが請負代官として活動している。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」