世界大百科事典(旧版)内の賦引付の言及
【蜷川氏】より
…親当の子親元(1433‐88)は伊勢貞宗の被官として8代将軍義政に仕え,応仁の乱前後の政情を記した日記《蜷川親元日記》を残し,親元の子親孝(?‐1525),曾孫の親俊(?‐1569)も《蜷川親孝日記》《蜷川親俊日記》を残す。政所の政務処理の過程で作られる訴状や裁許状の控は〈賦引付(くばりひきつけ)〉〈御判(ごはん)引付〉などと呼ばれるが,売買,貸借,質入れなど政所所管事項の実務を記録するこれら記録は,すべて蜷川氏によって筆録されたもので,中世後期の経済界,とりわけこの時期に頻発する徳政一揆の背景を知りうる史料として貴重である。蜷川家にはこのほかにも多数の文書,記録が伝えられ,法令,文書の草案,古記録よりの抜書,覚書など2軸27冊に上る史料は室町幕府政所の活動を知るうえで欠かすことができない。…
※「賦引付」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」