世界大百科事典(旧版)内の赤いベルト地帯の言及
【イタリア】より
… キリスト教民主党に次ぐ第2党はイタリア共産党で,1950~60年代の総選挙での得票率は25%前後を維持して確固たる勢力を有していた。共産党は,創設者の一人であるグラムシがファシズム政権下の監獄で書き残した《獄中ノート》を文化思想の拠りどころとし,また中部イタリアのトスカナ,エミリア・ロマーニャ,ウンブリアの地域に〈赤いベルト地帯〉とよばれる強固な基盤を築いていた。56年,書記長トリアッティの指導のもとに構造的諸改革の路線を打ち出して,社会主義へのイタリアの道を唱え,国際共産主義運動のなかでイタリア・マルクス主義の独自の立場を模索した。…
※「赤いベルト地帯」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」