世界大百科事典(旧版)内の《赤い車輪》の言及
【ソルジェニーツィン】より
…国を追われたとき〈噓によらず生きよ〉とのメッセージを国民に残した。 その後アメリカ合衆国バーモント州の山奥で,ロシア革命史の書換えともいわれる大ロマン《赤い車輪》の執筆に没頭し,83年以降《1914年8月》《1916年10月》《1917年3月》を刊行。83年5月には宗教界のノーベル賞といわれるテンプルトン賞を受け,ロンドンでの授賞式に出席,〈現代の悲劇はすべてわれわれが神を忘れたことに原因がある〉とキリスト者の立場で現代文明を鋭く批判した。…
※「《赤い車輪》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」