世界大百科事典(旧版)内の赤沢経直の言及
【小笠原流】より
…一方,信濃小笠原家でも,室町末期には長時,貞慶らが故実研究に興味を示し,多数の故実書を著した。室町幕府の崩壊とともに小笠原両家(京,信濃)も衰運の途をたどったが,一族赤沢経直が小笠原姓に復して徳川幕府に仕え,吉宗のころ貞政が世に出,幕府の弓馬礼式をつかさどり,以来礼式家としての小笠原の名を今日に伝えている。このほか民間では,元禄のころ水島卜也が小笠原流を称して諸礼法を教え,小笠原流の名は,封建時代における女子教養の代名詞とさえされた。…
※「赤沢経直」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」