赤津(読み)あかつ

世界大百科事典(旧版)内の赤津の言及

【瀬戸焼】より

…1615年(元和1)その指導者古田織部の死を契機として美濃窯業は主役の座から離れ,幕藩体制下には灰釉,鉄釉,御深井(おふけ)釉を主とした大衆向けの日常雑器の生産地になった。1610年(慶長15)初代尾張藩主徳川義直は加藤唐三郎,仁兵衛を美濃の郷ノ木(土岐市)から赤津へ,新右衛門を水上(みずかみ)(瑞浪市)から品野へ召還して窯業の振興策をとった。また寛永年間(1624‐44),名古屋城内の御深井丸の北東にある瀬戸山に窯を築き,唐三郎らを招いて焼かせたのが御深井焼である。…

※「赤津」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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