世界大百科事典(旧版)内の走泥社の言及
【京焼】より
… 幕末・明治の変革期には西欧陶技の導入,輸出陶磁の製作,工場生産への転換などが試みられたが必ずしも成功せず,その後は伝統的な高級品趣向,技術的な卓越さ,個人的作家的な性格を強めながら継続された。そして伝統的なものと革新的なものが共存しながら多くの陶芸作家を輩出し,第2次大戦後には走泥社など新しい陶芸運動の発祥地ともなり,現在では〈京焼・清水焼〉として通産省より伝統的工芸品の指定を受けるに至っている。【河原 正彦】。…
【八木一夫】より
…この間,沼田一雅の日本陶彫協会に入会し,39年の同会第1回展に出品している。46年9月の青年作陶家集団創立に加わり,48年5月の京展工芸部に《金環》を出品,京都市長賞を受けたが,同年7月青年作陶家集団が会員間の見解の相違から解散し,鈴木治,山田光,松井美介,叶哲夫とともに走泥社を結成,用途や機能をまったく顧慮しない,純然たる立体造形をめざし,前衛陶芸,オブジェ陶芸と呼ばれた。その成果は同年9月の第1回展や,10月の第4回日展での《白地三彩草花紋細瓶》にあらわれた。…
※「走泥社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」