趙良嗣(読み)ちょうりょうし

世界大百科事典(旧版)内の趙良嗣の言及

【童貫】より

蔡京に宰相就任の機会を与えた因縁で引き立てられて勢力を得た。1111年(政和1),燕京の人馬植(ばしよく)(のちの趙良嗣)を朝廷にすすめて,遼の領土に入っている燕雲地方を回復する計画を立てさせた。これが宋・金同盟に発展,彼自身も燕京攻撃に派遣されたが失敗,金軍の開封攻撃という国難を招き,国賊の名をきせられ,英州(広東省)に流され,途中で殺された。…

※「趙良嗣」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む