躋寿館(読み)せいじゅかん

世界大百科事典(旧版)内の躋寿館の言及

【医学】より

…また,しかるべき医師のほうも,塾を設けることは権威づけのために有効であるので,競って門人を集めた。それらのうち有名なのは,漢方医学では,京都の畑黄山の医学院,江戸では多紀家の躋寿(せいじゆ)館がある。多紀家は,《医心方》の編者丹波康頼の子孫で,代々京都で医業をおこなってきたが,江戸幕府が開かれてから江戸に移住した。…

【医学館】より

…同様の名称は各藩にもみられる。前身は幕府奥医師多紀氏の私営になる躋寿館(せいじゆかん)で,1765年(明和2)5月多紀元孝が神田佐久間町の司天台(天文台)旧地に設置,数度罹災したが,多紀家代々の努力によって発展した。84年(天明4)には100日間医生を学舎に寄宿教育する百日教育の法という独特の法を実施,医案会,疑問会,薬品会等を行うなどして評判を高め,多くの医生を集めた。…

※「躋寿館」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」