辺境伯領(読み)へんきょうはくりょう

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「辺境伯領」の意味・わかりやすい解説

辺境伯領
へんきょうはくりょう

「マルクグラーフシャフト」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内の辺境伯領の言及

【オーストリア】より

…さらにそれから100年たつと,オーストリアの地は民族移動の場となり,ゲルマン人,フン族,アバール人,マジャール人らによる角逐の場となった。500年から700年にかけてはバイエルン人がはいりこみ,8世紀末にはカール大帝が騎馬民族アバール人を破り,カロリング朝フランク王国の東の防壁として辺境伯領Markgrafschaftを設けた。880年にはマジャール人が侵入するが,955年オットー1世がレヒフェルトの戦でマジャール人を打ち破るのである。…

※「辺境伯領」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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