通法寺(読み)つうほうじ

世界大百科事典(旧版)内の通法寺の言及

【河内源氏】より

…頼信は1028年(長元1)に起こった平忠常の乱の鎮定に功をあげ,その嫡子頼義,嫡孫義家はそれぞれ前九年・後三年の両役で奥州に転戦して武名を高め,このいわゆる源家三代によって武勇の家の評価が定まった。この源家三代の墳墓と伝えられるものが,羽曳野市通法寺に現存する。義家の嫡子義親は九州,山陰地方を舞台に謀反をおこし平正盛に追討されたが,河内源氏の嫡流はその子為義が継ぎ,ついで義朝の代には武的勢力を回復し保元の乱に戦功をあげたものの,平治の乱に敗れて源氏の没落を招いた。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」