世界大百科事典(旧版)内の造大輪田泊使の言及
【大輪田泊】より
…西方から突出する和田岬によって南西風と潮流から守られる大輪田は,反面,南東風に弱いため防波堤を築いて防ぐ必要があった。812年(弘仁3)の修築以後,何度も修築の記事がみえるのは築堤が激浪で破壊されたためで,造大輪田船瀬使または造大輪田泊使が特任されて修理にあたり,工終われば国司にその管理維持を任せた。831年(天長8)には造大輪田泊使の任期を6年と定めて中央政府の直轄にしたが,修理料の徴収法は時代により変化し,853年(仁寿3)には所管を摂津国に復した。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」