世界大百科事典(旧版)内の進藤元弘の言及
【大山荘】より
…応仁の乱(1467‐77)後は武家代官による20貫文の請負が行われたが,実際の納入額はその半分程度であった。1508年(永正5)討死した中沢元綱の代りに新たに代官に任ぜられた進藤元弘が,丹波地方に大きな勢力をもつ波多野氏配下の長塩元親に退けられたことにより,東寺領としての大山荘は消滅した。【馬田 綾子】。…
※「進藤元弘」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...