世界大百科事典(旧版)内の運慶様の言及
【運慶】より
…定朝様に対する意識的な反抗は,平安王朝文化の否定という,当時の一般的な文化現象に通じるといえる。そして運慶様の基礎は奈良の地で天平以来の彫刻の古典を学び総合したことにあるだろう。彼の仕事の足跡をたどると,最初期の作であり20歳代の作と思われる円成寺像は,引きしまった体軀や玉眼という新技法を取り入れた点に新しい動向が見られるが,なお藤原風を脱しきれてはいない。…
※「運慶様」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」